池田 淳八氏

2021/11/08

かけがえのない六甲山リゾートに愛情を注ぎ、
次世代の文化・芸術を支えていきたい

商業学科 1968年卒業

八光カーグループ 代表取締役会長

池田 淳八

Q 輸入車の正規ディーラーである八光カーグループの会長をされながら、六甲山サイレンスリゾートの経営にも注力されています。そこに着手された理由は何でしょうか。

 私の本業は輸入車の販売が中心となっています。特に面白いブランドは、イタリア車ならフィアット、アルファロメオ、アバルト、マセラッティー、イギリス車であればJAGUAR、レンジローバー、アストンマーティン、マクラーレンなどになるでしょうか。
 ドライブをするなら、大阪の中心街から1時間前後で国立公園の自然と眺望を満喫できる六甲山がお勧めです。

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 大阪湾と裏六甲から運ばれたエネルギーが合わさる神戸の六甲山は関西エリアの憧れのリゾートであり、谷崎潤一郎、山崎豊子、阪急電鉄の創業者の小林一三さん等々、多くの文豪や関西の経済界の方々にもこよなく愛されました。
 しかし、阪神大震災やリーマンショックで、神戸にあった多くの上場企業が移転。残念ながら六甲山上の保養地も、その輝きが失われようとしていたのです。
 そこで歴史ある近代化産業遺産の旧「六甲山ホテル」を所有者より譲り受け、次の時代に継承していくことを決意。

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 新たに「六甲山サイレンスリゾート」として、建築を往時のままに再生すべく、壮大なプロジェクトを開始し、開業当時の姿を蘇らせました。かけがえのない六甲山が、今後も豊かな人生を謳歌できる由緒あるリゾートになればと願い、スタッフと日々力を合わせ頑張っています。
 家内との初デートも六甲山です。その時に眺めた夜景は忘れられない思い出となっています。実は、六甲山サイレンスリゾートの名称もその静寂さと共に、家内の名前にあった「静」の文字と重ねています。

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Q 現代アートの展覧会「六甲ミーツ・アート 芸術散歩」の会場としても提供されています。その理由は何でしょうか。

 商業のイメージが強い関西ですが、芸術を志す優秀な若者も多くいます。しかし、活躍する場所がなかなか見つかりません。特に現代アートの分野がそうです。そういった若き芸術家を育てたいという使命感で会場を提供しました。今後は音楽堂なども建設し、ここを文化芸術の発信基地としていきたいです。また障害者、障碍者への支援にも力を注いでいこうと考えています。

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Q 日大商学部時代で思い出に残っていることを教えてください。

 私が在学していたのは、学生運動が盛んだった時代です。私は学生会の委員長に選ばれ、有志と寝食を共にした日々が、青春の良き思い出となっています。最終的には本来の学問の府を守り抜いたことを今でも誇りに感じています。
 私は当時の風潮に流されず、近代経済学の権威だったゼミの教授から、その理論と思想をしっかり学ばせていただきました。私だけでなく、学問に深く取り組み、行動する学生が商学部にはたくさんいたように記憶しています。

Q 卒業後、トヨタのディーラーを経験してから、家業の八光自動車工業に入社されました。サラリーマン時代の思い出を教えてください。

 学問と学生会の活動に打ち込んだ学生から一挙に平穏なサラリーマンです。虚脱感がありましたが、幼い頃から経営者である父より帝王学を植え付けられていたため、商売の原点は何かを模索し、どうすれば優秀な人材が育つか、などを考えて仕事をしていました。家業を継ぐためにビジネスの基本を勉強させていただいたと思っております。もちろん車も人一倍、売りました。

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Q 商学部校友会では副会長を経て現在は顧問をされています。今の想いを教えてください。

 愛校心は人より強いと自負していますし、今も在学中と変わらず、学問の府を守りたいという想いは熱く燃えています。だからこそ、校友会も愛校心溢れる日大商学部のご意見番として、より一層活躍していただきたいと思いますし、私も顧問として尽力していくつもりです。

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六甲山サイレンスリゾート

1929年、旧六甲山ホテルは宝塚ホテルの分館として開業しました。
自然災害や経済情勢の影響で輝きを失いつつありましたが約2年間の修復工事の末、2019年7月「六甲山サイレンスリゾート」として生まれ変わりました。
四季の彩り豊かな大自然や神戸・大阪を見下ろす夜景、歴史的価値のある建造物など魅力が満載で、至近距離非日常リゾートを味わうことができます。

アクセス 〒657-0101
兵庫県神戸市灘区六甲山町南六甲1034
TEL 078-891-0650

1934年六甲山は瀬戸内海国立公園として、雲仙、霧島とともに日本初の国立公園に指定され、2007年には国の近代化産業遺産に認定されました。

六甲山サイレンスリゾート