江戸城

歴史散歩 第七回

皇居東御苑周辺を巡り
江戸城の歴史を辿る

講師: 秋山 修先生・関 一成先生
2022/11/19 開催

今回のコースは、江戸城の歴史をたどるため、皇居東御苑周辺を散策しました。
前回の歴史散歩は動画での配信となっており、約3年ぶりの実施となりました。なお、今回は校友・教職員の参加となりました。

場所: 皇居東御苑周辺
参加人数: 18名
散歩時間: 約3時間

順路

  • (スタート) 大手門
  • 同心番所
  • 中之門跡
  • 大番所
  • 中雀門跡
  • 本丸大芝生
  • 展望台
  • 江戸城天守復元模型
  • 果樹古品種園
  • 富士見櫓
  • 松の大廊下跡
  • 富士見多聞
  • 石室
  • 天守台
  • 桃華楽堂
  • 北桔橋門
  • 梅林坂・汐見坂下
  • 都道府県の木
  • 平川門
  • 和気清麻呂像
  • 坂下門
  • 二重橋
  • 外桜田門(ゴール)
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講師紹介
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秋山 修先生

鬼平を愛し、江戸文化歴史検定1級合格を機に、江戸を「愛し、学び、楽しむ」ことを目的とする、深川・森下の自主クラブ「大江戸熱愛俱楽部」で講師を務める。現在、江の島と遊行寺の藤沢市在住。

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関 一成先生

江戸文化歴史検定1級合格。新選組のふるさと多摩に住んで、幕末史と歌舞伎、歌川国芳描く猫の浮世絵をこよなく愛する。講義は分かりやすく、面白くがモットー。歌舞伎検定2級も保持。

(スタート)大手門 ~ 同心番所 ~ 百人番所 ~ 中之門跡 ~ 大番所 ~ 中雀門跡

秋晴れの下、参加者は大手門横にて集合し、A・Bそれぞれのチームに分かれて出発しました。最初に説明されたのは、「下馬評」の由来ともなった下馬所について。大名が入城する際、下馬所では家来たちが主人を待つ間に色々な噂話をしていたことからその言葉が生まれたといいます。「下馬」「下乗(同心番所付近)」「中之門」と本丸に近づいていくにつれ、階級・地位によって、家来を連れて行ける人数は変わっていき、中雀門の後に通る玄関からは大名が一人で入場することになります。
大手門は桝形虎口という形になっており、敵が中に入りづらく、小さな穴から外に向かって鉄砲で攻撃ができるようになっていました。進んでいくと、本丸に到着するまでには同心番所、百人番所、大番所といくつもの番所(検問所)があります。参加者は「こんなに何度も検問があったのか」と驚きの声を上げていました。

大手門より出発
「下馬評」の由来をきく

旧大手門渡櫓の鯱
(わたりやぐらのしゃちほこ)

同心番所の瓦には巴紋
火災除けの意味が込められている

密に詰まっている石垣ほど新しい

組ごとに交代勤務していた百人番所

写真と見比べ
当時の様子を思い浮かべる

石垣に使われている石を触わり体感

中之門跡で石垣の積み方クイズ
「これは何積みでしょうか?」

百人番所よりさらに位が高い人を
検問する大番所

本丸大芝生 ~ 展望台 ~ 江戸城天守復元模型

本丸跡の大芝生で2チームは集合し、記念撮影。その後は展望台に登りました。展望台は台所前にあった櫓がかつてあった場所で、本丸が外から見えないよう、高台となっています。この場所からは、先ほど通過した百人番所の屋根や白鳥濠、汐見坂が見えました。汐見と言うくらいですから、当時は海が見えたようです。
江戸城天守復元模型は、3代将軍家光が建てた5層の建物で、2020年9月から公開されています。黒色が特徴的で、実物は60メートルほどだったものを約2メートルで表現しています。参加者は模型を1周まわり、小さくてもわかる天守閣の威風堂々たる様子に、感銘を受けていました。

本丸大芝生では家族連れがピクニックをする
平和な風景が広がる

本丸大芝生で集合写真
背後には秋に咲く桜の花が

坂を登って展望台へ

展望台からは都心のビル群と
当時の遺構どちらも見える

展望台から白鳥濠・汐見坂を眺めた

江戸城天守復元模型

果樹古品種園 ~ 富士見櫓 ~ 松の大廊下跡 ~ 富士見多聞 ~ 石室

上皇陛下のお考えを受けて江戸時代の種が植えられた果樹園を抜け、富士見櫓にたどり着きました。明暦の大火で天守閣が焼失してしまった後は、富士見櫓が代用されたといいます。その後は「忠臣蔵」で有名な松の大廊下跡を歩きました。当時は松の絵が描かれた長い廊下だったそうです。
富士見多聞は長屋づくりの武器庫。現在は内部が公開されているため見学しました。そして、調度品が収蔵されていたのではないかといわれている石室を横目に見ながら、天守台へと向かっていきます。

江戸時代に食用とされていた品種が
植えられた果樹古品種園

旬の柿が鈴生りに

遺構の中では最も古いものといわれる
富士見櫓

忠臣蔵で有名な松の大廊下跡

江戸城の中でも2番目の長さだった
廊下跡を歩く

長屋作りを体感できる富士見多聞

当時は鉄砲や弓矢が納められていた

富士見多聞を出た小道の竹林にある
珍しい竹「キッコウチク」

内部は20平方メートルほどの
広さとなっている石室

天守台 ~ 桃華楽堂 ~ 北桔橋門

天守台の前で、再び皆で記念撮影。前に立つとスケールの大きさがよくわかります。明暦の大火後に天守閣は再建されませんでしたが、天守台の石垣は再建されました。天守台のスロープを登ると大きな広場が。災いを避けるために石に刻まれたといわれるしるしや、高さを測るための基準点を見ることができました。また、目の前にはテッセンの花の形をした、珍しい屋根の建物が。昭和天皇の皇后の還暦記念として建設された桃華楽堂です。
天守閣から最も近かった北桔橋門は、跳ね橋になっており、江戸時代は橋の片方を跳ね上げて渡れないようになっていました。内部を守るため、石垣もとても高くなっています。また、園内から門外をのぞくと外の方が低くなっているように見えますが、逆サイフォンの原理にてこの門から玉川上水の水を引き上げていました。参加者は、当時の人々がその原理を知っていたことに驚いていました。

天守台で集合写真

天守台の上から

天守台に登って園内を見渡す

秋の心地よい日差しの下で
眺望を満喫

桃華楽堂の美しい外観を楽しむ

北桔橋門からは代官町通りが見えた

梅林坂 ~ 汐見坂下 ~ 都道府県の木 ~ 平川門

梅林坂を下った先にあった石垣は、目を凝らして見てみると、色々な模様が刻まれていました。これは大名刻印といって、自分が献上した石だということを示すため、または自分の石を盗まれないように書いたといわれているようです。石垣の積み方にも谷積みや亀甲積など、さまざまな種類があり、今後石垣を見た際にどんなものなのか見てみるのも楽しみになりました。
二の丸と本丸を行き来する道であった汐見坂の下を通り、各都道府県の木が植えられたエリアへ。本土復帰する前だった沖縄は後から植樹されたそうです。その後、平川門から皇居東御苑を出ました。

梅林坂で石垣の説明を聞く

二の丸庭園は
池泉回遊式庭園として復元されたもの

汐見坂へ続く石垣は圧巻

汐見坂下の様子

若手も積極的に講師へ質問していた

都道府県の木を見ながら
出身地の話に

平川門から皇居東御苑を出る

門限に間に合わず春日局は
平川門の外で一夜を過ごしたという

平川橋の擬宝珠(ぎぼし)

和気清麻呂像 ~ 坂下門 ~ 二重橋 ~ 外桜田門(ゴール)

大手濠をまわっていくと、和気清麻呂像と震災イチョウという木のある場所に到着。和気清麻呂は奈良時代末に皇統断絶の危機を救った忠臣、震災イチョウは関東大震災による火災を免れた木です。この場所は濠が少しへこんでいますが、それは江戸城から見て鬼門(北東)の方角となっており、鬼が入って来ないようにするため。鬼と十二支、桃太郎に関係性があるとの話に、参加者は「面白い!」と感想をもらし、興味深い様子で説明を聞いていました。
そこから再び大手門の前を通過し、見えてきたのは濠の角にある桜田巽櫓(桜田二重櫓)です。濠から登ってくる敵に向けて石落としが備えられていました。坂下門を見つつ、広大な皇居前広場を進んでいくと、今度は二重橋を発見。実は二重橋は手前にある橋ではなく、奥にある橋とのこと。
桜田門の近くまで行くと、井伊直弼は襲われるのを知っていたのではないかというお話を聞き、参加者は驚いていました。

和気清麻呂は鬼門の位置に立ち、
今も皇族を守る

関東大震災による火災を免れた
震災イチョウ

立っている場所は
江戸城から見て鬼門(北東)の位置

皇居にまつわる曲を
歌ってくれた秋山先生

二重橋の様子

奥の橋が二重橋だという説明を受けた

今回のコースは、江戸城の歴史をめぐる散策となりました。門、堀、石垣など、貴重な遺構が都会の中心に残っていることに驚くとともに、先生方の語るさまざまな逸話が大変面白く、感じたことや疑問を論じ合って、参加者同士交流が深まる散歩となりました。