秋山 修先生
鬼平を愛し、江戸文化歴史検定1級合格を機に、江戸を「愛し、学び、楽しむ」ことを目的とする、深川・森下の自主クラブ「大江戸熱愛俱楽部」で講師を務める。現在、江の島と遊行寺の藤沢市在住。
愛宕神社・増上寺など
東京タワー周辺の史跡を訪ねる
講師: 秋山 修先生・関 一成先生
2023/11/18 開催
今回は、徳川家とゆかりの深い、愛宕山・芝の史跡を散策。
コロナ禍の影響で参加が見送られていた在学生も加わり、多くの参加者が集った。
場所: 愛宕山・芝周辺
参加人数: 41名
散歩時間: 約3時間
順路
秋山 修先生
鬼平を愛し、江戸文化歴史検定1級合格を機に、江戸を「愛し、学び、楽しむ」ことを目的とする、深川・森下の自主クラブ「大江戸熱愛俱楽部」で講師を務める。現在、江の島と遊行寺の藤沢市在住。
関 一成先生
江戸文化歴史検定1級合格。新選組のふるさと多摩に住んで、幕末史と歌舞伎、歌川国芳描く猫の浮世絵をこよなく愛する。講義は分かりやすく、面白くがモットー。歌舞伎検定2級も保持。
41名の参加者は、13時に神谷町駅近くの公園へ集合。西川豊和副会長が開催にあたり挨拶を行い、出発した。
最初に訪ねたのは猿寺ともいわれる栄閑院。境内には猿の像がたくさん置かれており、日本蘭学の祖である杉田玄白の墓がある。
壁のような急勾配の階段が現れ、愛宕神社に向かう。曲垣平九郎が馬に乗ったまま階段を駆け上り、褒美と名声を得たことから「出世の石段(男坂)」と呼ばれるようになった。天然の山として東京23区で最高峰の愛宕山からは、江戸時代には海が見えたという。当時の様子を歌川広重が浮世絵に残しており、資料で絵を確認。境内は工事中だったが、徳川家康が江戸の防火・防災のために創建した神社を参加者たちは参拝し、おみくじを引く姿も。
愛宕山から下りる道すがら立ち寄ったのは青松寺。ここには槍持勘助(やりもちかんすけ)の墓がある。倒せば打ち首になってしまう、重い長槍を持つ役割を担っていた足軽の勘助が、その苦労を後に残すまいと槍の柄を切り、切腹して果てたという逸話がある。また、徳川家では兎のお吸い物を正月に食べる習慣があったという。
増上寺歴代大僧正の墓地となっている安蓮社には、大奥上﨟御年寄・飛鳥井の墓と彼女の功績を讃えた尤梅碑(ゆうばいひ)がある。飛鳥井は10〜12代将軍に仕え、11代将軍・家斉が側室に影響を受けて改宗しようとした際に、決死の覚悟で止めようと直訴したという。また、幕府軍戦死者の墓碑もあり、背面には勝海舟の追悼文が書かれている。
駅名にもなっている御成門は、将軍が増上寺に参詣する際の門。当時あった場所と現在の場所は異なるとのこと。
その近くには品川台場の石垣石が。台場は大砲を置くための場所で、ペリー来航の後つくられた。
二天門は7代将軍・家継を祀る霊廟の惣門である。金色と赤で彩られた豪華なつくりと、左右の立派な像に、参加者たちは感心していた。
徳川家の菩提寺である増上寺の境内には、東日本最大の梵鐘が。江戸時代、庶民はこの鐘の音で時刻を知った。鐘の音は、遠く木更津まで聞こえたといわれる。
霊廟には、6人の将軍と、浅井三姉妹のお江や皇女和宮など正室や側室、子女が埋葬されていた。年代が古い墓は青銅、他は石の墓石となっている。墓は発掘調査で、人物の身体的特徴などさまざまなことがわかった。以前は二代将軍・秀忠の豪華な霊廟がすぐ側にあったが、昭和の戦災で消失し、現在の場所にまとめられているという。
二代将軍・秀忠の霊廟の正門である台徳院殿霊廟惣門を見て、芝東照宮に向かう。御神体は安国殿こと、徳川家康公。3代将軍・家光が植えたとされる大きなイチョウの木がある。昭和の戦災の前は五重塔もあった。近くには芝丸山古墳があり、伊能忠敬が古墳の斜面で高さを測定する練習をしたといわれている。
表門に浅野家の家紋が彫刻されている廣度院や、歌舞伎の話のモデルともなっている白子屋お熊の墓があり、市川團十郎家ともゆかりの深い常照院を見学した。
最終目的地の芝大神宮へ。都内有数の古社であるこの神社では、江戸時代に町火消のめ組と力士が喧嘩をした「め組の喧嘩」が有名であり、歌舞伎の演目にもなっている。芝大神宮の灯籠や提灯のあたたかな光に包まれて、今回の歴史散歩は終了となった。
今回のコースでは、徳川家と深く関わる史跡を巡る散策となった。特に増上寺では、将軍が眠る霊廟を見学し、その人々をより近くに感じた。
また、昨年より多くの参加者が集まり、幅広い世代が交流の場を持てた企画となった。