歴史散歩 第十回

渋沢栄一が暮らした飛鳥山から
「王子の狐」の舞台 王子を歩く

講師: 関 一成先生・百街道 一歩先生
2025/11/15 開催

今回は、東京都北区の上中里駅から王子駅周辺までの史跡を散策。
秋晴れの下、黄色や橙色に染まった色とりどりの木々に見守られながら、気持ちの良い散歩を楽しんだ。

場所: 飛鳥山・王子周辺
参加人数: 35名
散歩時間: 約4時間

順路

  • (スタート)JR上中里駅
  • 蝉坂
  • 平塚神社
  • 御殿前遺跡(滝野川公園)
  • 国立印刷局東京工場前
  • 西ヶ原一里塚
  • 渋沢史料館・飛鳥山
  • 音無橋
  • 王子神社
  • 音無親水公園
  • 扇屋・海老屋跡
  • 王子稲荷神社
  • 装束榎跡
  • 装束稲荷神社(ゴール)
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講師紹介
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関 一成先生

江戸文化歴史検定1級合格。新選組のふるさと多摩に住み、幕末史と歌舞伎、歌川国芳描く猫の浮世絵をこよなく愛する。講義は「分かりやすく、面白く」がモットー。歌舞伎検定2級も保持。

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百街道 一歩先生

街道歩きと祭を愛し、道中記と祭探訪の記録を綴るサイトを運営。百街道をめざして全国の街道を歩き、2025年11月に99街道目となる山陰道を踏破した。江戸文化歴史検定1級合格のほか、多数のご当地検定に合格。

(スタート)JR上中里駅 〜 蝉坂 〜 平塚神社

参加者は東京都北区の上中里駅に集合。関先生のAチーム、そして今回初めて講師を務める百街道先生のBチームに分かれて出発した。
参加者はすぐに、「蝉坂」という坂を登ることになった。ここで関先生は「日本の地名は漢字で判断しない方が良い」と説明。蝉坂は「攻め(せめ)」から来ており、室町時代近くにあった平塚城をめぐる合戦が由来ともいわれているという。
平塚城は、現在は平塚神社となっていた。今でも敷地の広い立派な神社だが、昔はさらに広い神社だったという。平安時代後期に王子一帯を支配したのは桓武平氏の流れをくむ豊島氏で、平塚城(豊島城)を築いたのも豊島氏であった。源義家が城を訪れた際に豊島氏は手厚くもてなし、その返礼として感謝の証に鎧が贈られ、のちに鎧は城の守り本尊として塚を築いて埋められた。塚が平らだったことから、「平塚」という地名が生まれたと伝わっている。現在も塚はあるが非公開であり、禁足地となっている。「日本には禁足地がたくさんある。もしかしたら入ったら祟られるのかも、気をつけて」と先生は参加者に教えていた。

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上中里駅に集合した参加者たち

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関先生のAチームから出発

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蝉坂を上りながらワクワク

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平塚神社に到着

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まずは参拝 散歩の無事成功を祈る

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平安後期この辺りを支配した豊島氏の話を聞く

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百街道先生は指し棒を使って説明

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美しく染まった紅葉の中を進む

御殿前遺跡(滝野川公園)〜 国立印刷局東京工場 〜 西ヶ原一里塚

平塚神社を出て少し歩くと、滝野川公園に到着した。この辺りはかつて豊島郡という地域で、古代律令国家時代に豊島郡の郡衙(郡の役所)を置かれていたのが、この場所である。「としま」という言葉は万葉集にも出ており、旧石器時代や縄文時代、弥生時代の集落跡も見つかっていて、古くから地域の中心だったと考えられている。公園には出土した土器のレプリカが展示されており、参加者はこれを囲みながら先生の話を聞いた。室町時代後期には太田道灌が江戸城を築いたことで地域の中心が江戸城周辺へと移ったため、この辺りは自然豊かで静かなエリアになっていったが、将軍の鷹狩り場として使われたという。先生は資料の江戸時代の地図を示すと、「今日はこの地図の道をそのまま歩けるんです。興味のある方はこれを見ながら歩いてみましょう」と参加者に呼びかけた。
その後、地下鉄の西ヶ原駅の方へ歩いて行くと、お札の製造を行う国立印刷局の東京工場の前を通った。明治頃までは水の綺麗な場所によく製紙工場が作られており、王子は紙で有名な土地になった。また、工場の近くにある地図の看板によると、参加者が歩いているこの道は、飛鳥山に住んでいた渋沢栄一が一万円札の肖像になったことを受けて「渋沢通り」という愛称がついているという。
参加者が歩いている大きな通りは岩槻街道でもあり、街道に一里(約4km)ごと置かれた塚を一里塚と呼ぶ。街道の両側に当時の原型を残すのは都内に2か所のみで、西ヶ原一里塚はその貴重なひとつだ。土が盛り上がっており、榎の木が植えられていた。大正時代には、線路の配置で撤去されそうになったが、渋沢栄一をはじめとする地元住民が保存運動を行い、残されることになった。中央分離帯側の塚には保存の経緯を記した「二本榎保存之碑」があるが、横断歩道がなく近づくことができないことを関先生は残念そうに語っていた。

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滝野川公園の土器レプリカ前で説明を受ける

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江戸時代の地図には
「平塚社」「飛鳥山」などの文字が

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国立印刷局東京工場に到着

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百街道先生が参加者に質問

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渋沢通りの地図があった

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西ヶ原一里塚は七社神社の鳥居の横に

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道路の反対側にも残存している

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飛鳥山(渋沢史料館・飛鳥山公園など)

飛鳥山は正しくは「山」ではなく、上野から続く武蔵野台地の端に位置する。ここで先生は「東京23区で天然の山と言えるのはどこかわかりますか」と質問を投げかけた。すると、歴史散歩常連の校友はすぐに「愛宕山!」と答えることができた。愛宕山は前々回の歴史散歩で訪れた史跡である。
渋沢栄一が邸宅を構えた飛鳥山には現在、渋沢史料館が置かれている。ここで参加者は自由行動となり、史料館をはじめ、国指定重要文化財の建造物などを見学した。渋沢史料館では、栄一91年の生涯が年齢ごとに展示されており、参加者はじっくりと自分のペースで観覧した。栄一の喜寿祝いとして贈られた洋風茶室の晩香廬(ばんこうろ)は、洗練された意匠と丹念につくられた工芸品が飾られ、参加者は「細工が細かい」「漆喰で仕上げてあって贅沢」と感嘆していた。傘寿のお祝いで贈られた青淵文庫は、接待・接客の間や階段、ステンドグラスが美しく、渋沢栄一の言葉や映像などの展示が訪れる人を迎えていた。
散歩を再開し、飛鳥山公園を進んでいくと、たくさんの桜の木が植えられていることに気づく。飛鳥山といえば桜の名所であり、これは徳川吉宗が増税や倹約によって財政再建に取り組む一方、庶民へ楽しみを与えるために桜を植えて名所にしたといわれている。桜が咲く時期ではないが、この日も飛鳥山公園では催しが行われ、多くの人出がある中を一行は歩んで行った。

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校友と在学生の交流が生まれていた

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飛鳥山に到着

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渋沢史料館の前で集合

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いざ入館

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年齢ごとに展示が行われていた

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「渋沢栄一をたどる」というテーマの展示

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じっくりと展示を見る参加者たち

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展示棚は引き出しの仕掛けが

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渋沢栄一の人生は国づくりともいえるものだった

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洋風茶室の晩香廬

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当時新進気鋭の美術工芸家が制作

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細かなつくりに感嘆

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接待・接客の場として使われた青淵文庫

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華やかで美しい空間に思わずカメラを向ける

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ステンドグラスの塗り絵に挑戦

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デジタルパネルを使った展示も

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スクリーンには渋沢栄一の遺した言葉が

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渋沢栄一の日常や愛用品が紹介されていた

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青淵文庫前で記念撮影

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紀州(和歌山)と王子のつながりが説明された

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渋沢史料館を出発し飛鳥山公園内部へ

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公園は多くの人で賑わっていた

音無橋 〜 王子神社 〜 音無親水公園

王子駅周辺の石神井川は別名、音無川と呼ばれる。橋の上から川を見ながら歩いて行くと、王子神社に到着した。入口には立派な神輿がディスプレイされており、参加者は「かっこいい」と声をあげていた。東京十社のひとつであり、王子という地名の由来となった神社である。
境内には、関神社という髪の毛にご利益があるといわれる神社があった。祭神として祀られる蝉丸法師が、逆髪で悩む姉のためにかつらを作らせたという伝承から、「髪の祖神」として現在は美容関係の店や人々からも厚く崇敬を集めている。境内の裏手に進むと、樹齢600年以上といわれる大銀杏があった。黄色に染まった立派な銀杏に参加者は見惚れ、写真を撮る人も多かった。
銀杏を背に階段を降りていくと、先ほど見た音無川に出た。ここは音無親水公園として整備されている。近くには「岸町1丁目1」そしてそのほぼ向かいに「王子本町1丁目1」の標識が。1丁目1番地好きの百街道先生は、昭和30年代に「一丁目一番地」というラジオ番組があったことを教え、ラジオで流れていた歌を歌ってみせてくれた。

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歩道橋を渡って音無橋へ

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音無橋に到着 橋の上からは小さな川が見えた

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王子神社は七五三の参拝客で賑わっていた

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入口には金色の御神輿が飾られていた

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王子神社の境内で記念撮影

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関神社のご祭神・蝉丸は
小倉百人一首の歌人のひとり

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特に男性の校友はしっかりと参拝

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王子神社の境内を奥に進んでいくと大銀杏が

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階段を下りるとあるのは音無親水公園

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「岸町1丁目1」の標識を発見

扇屋 海老屋跡 〜 王子稲荷神社

扇屋は1648年に掛茶屋として創業し、一流の料亭として有名だった店である。落語「王子の狐」の舞台になった場所であり、現在は美味しいと評判の厚焼き玉子のお店になっている。ここで参加者の数名が玉子焼きを購入し、お土産として持って帰った。
そこから少し長めに歩いていくと、王子稲荷神社に到着した。ここは関東の稲荷社を総括統一する関東稲荷総司である。鳥居から急な階段を上ると立派な拝殿が建っており、校友が在学生に「就活が上手くいくようにお参りしよう」と声をかけていた。
敷地の奥には願掛け石があり、皆で持ち上げに挑戦した。「重い!」と言いながらも多くの在学生や校友が持ち上げに成功。「素晴らしい」と声をかけたり、拍手が起こったりと、和気あいあいとした雰囲気で盛り上がった。
敷地内には狐の像がたくさんあり、ここでは稲荷信仰についての説明があった。「イナリ」は「稲生(いなり)」を意味しており、元々は農耕の神様で、狐はその使い神と考えられていた。江戸時代には商売をする人が増えたことから、商売繁盛の神様にもなったという。また、稲荷神社は火伏の神様としても知られ、王子稲荷の「初午の凧市」はたびたび大火に見舞われた江戸の庶民たちが、「凧は風を切る」として火事除けの縁起を担いで生まれ、今なお親しまれる行事となっている。

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慶安元年(1648)創業の扇屋

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現在は厚焼き玉子屋として人気

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美味しいダシが効いていてジューシー

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「何歩歩いたかな?」と確認する参加者も

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しばらく歩いたのち王子稲荷神社に到着

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狐様に見守られ急な階段を上る

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拝殿

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就職活動の成功を祈っているのかな

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20kgほどの願掛け石に挑戦

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女子学生もチャレンジ

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楽々持ち上げる人も

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階段上は狐が住処としていたといわれるお穴様

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火事除けが祈られた火防凧

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境内にはさまざまな顔の狐様がいた

装束榎跡 〜 装束稲荷神社(ゴール)

王子稲荷神社を脇道から出ると、今度は下り坂が待っていた。「結構アップダウンがあるね」と声を掛け合いながら、王子駅前の方向へ歩みを進めた。高架下を通り、北口に出て歩いていくと区の施設「北とぴあ」があり、長崎出身で北区の名誉市民である彫刻家・北村西望の平和祈念像が建てられていた。
大きな十字路に着くと、ここにはかつて装束榎という木があったことを説明された。毎年大晦日の夜、日本各地から狐が集まりこの大榎のもとで装束を整え、先ほどの王子稲荷神社まで参詣したという言い伝えがあったという。その伝承は歌川広重が浮世絵に描いている。榎は切り倒されてしまったため、今は見る影もなかったが、資料の浮世絵と現在の姿を見比べ、当時に思いを馳せた。
装束榎跡の東側には記念碑と社が建てられ、現在は装束稲荷神社となっている。戦時の空襲による火災がここで止まり、一帯の住民が助かったことから社殿が建立されて神社となった。この神社では広重の浮世絵に描かれた情景を再現したイベントとして、「大晦日狐の行列」が1993年から行われている。ちょうど近所の人がパンフレットを配ってくれたため、どんな行事なのか詳しく知ることができ、地元の人のこの神社や地域に対する思いも少し感じることができた。こうして、装束稲荷神社で全員が無事にゴールとなった。

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王子駅北口方面へ

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装束榎がかつてあった場所は交差点に

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装束稲荷神社は真っ赤な鳥居が印象的

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大晦日の行事「狐の行列」で使われる提灯

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装束稲荷神社でゴールとなった

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ゴール記念に撮影

今回は、飛鳥山に暮らした渋沢栄一の足跡と、古代からの歴史や伝承が多くある王子エリアを深く学ぶことのできた散歩となった。
また、在学生の参加も多く、交流のある楽しい企画となった。神社検定を持つ女子学生は「東京十社のうち回れていなかった王子神社に行けてよかった。講師の方のお話が勉強になった」と話していた。今後も在学生と校友がともに楽しんで参加できる企画を開催していく。