授業も稽古も手を抜かなかった
大奄美
吉原先生、木崎監督、本日はよろしくお願いします。
木崎
こちらこそ、よろしくお願いします。先日も私がこちらに異動した際にわざわざ来てくれたね。
吉原
その際に私のところにも寄ってくれて本当に嬉しかったです。
大奄美
砧キャンパスは卒業して7年ぶりに訪れたことになります。
木崎
今は髷も結っているし、体重が増えて貫禄がついたが、こうして話すと学生時代と変わらないね。
吉原
私は立派になっていたので思わず「大奄美関とお呼びした方がよろしいでしょうか」って聞いてしまいました(笑)。すると「やめてくださいよ!吉原先生」と言われて安心しました。
木崎
どうぞ、学生時代のまま「坂元」と呼んであげてください。
吉原
ありがとうございます。坂元くんは本当に真面目でしたね。私が教えていたのは一限目の英語の授業でした。学生にとっては朝早い時間です。中には遅刻してくる学生もいましたが、坂元君はいつも10分前には来て一番前に座っていました。席が教壇のすぐそばなのでよく指したりもしましたが、ときどき、ユニークなリアクションもあり、私とのやりとりが他の学生にはとても面白く感じていたようです。
また、試合で欠席となるときは、LINEで事前に連絡をくれていました。やはり一流はちがうなと思いました。卒業後に角界で活躍されているのも十分に納得できます。
木崎
非常にリーダーシップもあって、先輩というよりキャプテンのような存在でしたね。授業には私のほうからもきっちり出席するようにとは言っていました。ただ、そう言っても行かない学生もいましたが、彼はちがっていました。
大奄美
授業は行くべきものだと思っていました。休もうと思ったことはまったくありませんでした。あっ、たまにはあったかな(笑)。
吉原
体が大きいから暑かったのだと思いますが、冬でも半ズボンとビーチサンダルだった記憶があります。特に夏の授業は大変そうでした。あの頃、大学の冷房はあまり効かなくて、90分の授業だと集中力が続かないようで、坂元くんから「先生、5
分休憩させてください」と言われて、みんなで休憩時間を持ったのです。坂元くんが授業を真剣に聞きたいという気持ちが伝わってきましたし、そのためにしっかり主張できることにも感激しました。
大奄美
寮や稽古をしているときは相撲部の一員ですが、授業を受けているときは学生になれます。授業中は相撲を忘れて、英語の授業なら英語のことだけに集中していればいいわけですから気分転換もできました。
木崎
寮では朝6時から起きて掃除したりするなど、1年生としてやるべきことがたくさんあります。さらに朝稽古は、それなりに気持ちが張り詰めています。ある意味、寮生活や相撲から解放される時間が大学の授業にあったのかも知れないですね。
吉原
砧キャンパスの中で一番好きだったところはどこでしたか。
大奄美
学食です(笑)。
吉原
普通の量で十分でしたか。
大奄美
いえ。大体は同じメニューの食券を2枚か、3枚買っていました。自分はたぬきうどんが好きだったので、いつも「天かすたくさん入れて」と言って3杯は食べていました(笑)。
吉原
一度、授業が終わったあとに、学生たちに売店で好きなお菓子を買ってあげたことがありました。みんな若いからアイスクリームやチョコレート、それにケーキなどを選んでいましたが、坂元くんは「僕は甘いものは食べません。コーヒーをお願いします」と言っていたのを覚えています。普段から食事は一般の人より多く食べる分間食などでは糖質を控えるなど、健康管理に気を使っているのだなと思い、その時も「さすがだな」と驚かされました。
真面目でないと商学部は続かない
木崎
彼は四股名の通り、奄美大島出身で中学も高校も私と同じです。その関係で真面目な人柄はよく知っていました。日大に入学が決まったとき、学部はどうするか迷っている様子でしたので、商学部を勧めました。商学部は運動部員であっても特別扱いせず、授業に出席しないと単位が取れないし、卒業もできない学部です。だからこそ、彼なら大丈夫と思えました。
吉原
私自身、こちらで教えるようになったときに先輩の教授から「商学部は努力しない学生に単位を上げるような学部ではありません。このことをよく理解して臨んでください」と指導されたことがあります。
大奄美
自分自身は商学部で勉強することが大変だとは一度も思ったことはありませんでした。逆に鹿児島商業高校時代から簿記は好きだったので、楽しく学べたと思っています。
木崎
真面目な性格は育った環境にもあるのかも知れません。中学も越境して通学していましたし、高校生になると島も親元も離れての生活です。夏休みや正月などに親元に帰る機会はありましたが、試合があればそれも叶いません。その中で、今何をやるべきかを考え、それをきっちりやるという習慣がついたのではないでしょうか。また、東京の大学に我が子を送るともなると親の経済的な負担も今まで以上になります。そういうことを彼はしっかりわかっていたのだと思います。
大奄美
日大相撲部でお世話になってすぐのことを今でも覚えています。木崎監督から厳しい目で「ここに来て四股を踏め」って言われました。監督であり、相撲の大先輩の前です。普段やり慣れている四股でも緊張で震え、ぎこちなくなってしまいました。
木崎
四股は、相撲の基本動作であり、力士の下半身強化や準備運動として用いられる伝統的なトレーニング方法のひとつです。 その四股も彼らしくきっちりできていることがわかりました。
吉原
相撲に打ち込むようになった理由は何ですか。
大奄美
最初はサッカー選手になりたいと思っていました。ある日、その夢を祖父に話したら、「元規、自分の体を見てみろよ。わかるだろう。相撲しかないだろ」と諭されました(笑)。たしかにその通りで、そこから腹を括って相撲に専念しました。
吉原
小学生時代の写真を見せてもらったことがありますが、確かに大きかったです(笑)。日大時代もずっと相撲一筋でしたが、授業が終わって噴水のところで友だちと話したり、普通の学生のようにキャンパスライフを楽しんだりという気持ちにはなりませんでしたか。
大奄美
少しはそういった憧れもありました。ただ自分は、もともと人見知りをするタイプですので話しかけられても会話が続かず、残念ながら相撲部関係以外に友だちはできませんでした。ですから授業が終われば、すぐに稽古場のある阿佐ヶ谷に向かっていました。
数々の団体戦の中で目覚めた日大愛
木崎
彼には入部してすぐに団体戦の大将を担ってもらいました。相撲は個人個人の戦いのような印象がありますがチームワークがとても求められます。チームワークというとサッカーやバレーのようなボール競技を連想するかも知れません。そういった競技と相撲がちがうところは、ボール競技がそれぞれポジションごとに役割が分担されているのに対し、相撲の団体戦は一人ひとりにすべてを任せるわけです。下級生であろうが、4年生であろうが、その選手が1 点を取ることによって勝利に近づくわけですから、一人ひとりの頑張りに対して皆が声援を送り、勝てば大きな拍手で喜びを共有します。その中で強い絆が生まれ、チームワークが育まれていきます。そういった団体戦の中で責任が重いのが大将です。団体戦は先に3勝した側が勝ちます。もし、お互いに2勝であれば勝敗は大将に委ねられます。
大奄美
なんとしても勝たないといけない状況です。ただあまりガチガチに力み過ぎるといい相撲が取れませんが、それでも団体戦で土俵に上がる度に、日大の看板を背負っていることを実感するようになっていました。日大愛のようなものでしょうか。支え合う仲間がいる日大のために勝とうという意識がいつの間に芽生えていました。そして勝つ喜びも負ける悔しさも皆といっしょに味わいました。今、私が所属する追手風部屋にも日大の仲間が多くいますが、やはり今も同じ母校の相撲部で寝食を共にしながら、稽古に励んでいたという絆の強さを感じます。
いつか商学部の学びを活かしたい
木崎
相撲部の部員には「何でも一生懸命やろう」とよく話すようにしています。稽古はもちろん、遊ぶときも休むときも勉強するときも一生懸命です。彼はその想いを受け止めてくれていたように感じています。
大奄美
私がモットーとしているのは、中学校のときに校長先生からお聞きした「念ずれば花開く」という言葉です。とにかく自分が心に決めて無我夢中で頑張り続ければ必ず結果が出るようになるという意味ですが、それは今、木崎監督がおっしゃっていた“何でも一生懸命頑張る”ことに通じると思います。
吉原
世の中全体がそうかも知れませんが、様々な場面で効率性が求められています。その中で努力や真面目さがどこか軽視される傾向があるように感じます。実は私が教えている英語の授業は少人数ですから、いい加減な授業態度ですとすぐわかりますし、その上単位数も少なく、いわば効率が悪いわけです。そんな英語の授業を坂元くんは一番前の席で遅刻もせずに真面目に一生懸命受けてくれました。私は学生たちには「とにかく真面目に授業に来なさい。真面目に来ている学生がバカを見るような授業はしません」と必ず話すようにしています。これは私だけではなく、商学部のすべての授業にあてはまるように思います。その意味では坂元くんは、商学部が求める学生像に近かったのではないでしょうか。
大奄美
ありがとうございます。日大商学部で良かったことは、立派な監督、学生を支えてくれる温かい先生に出会えたことに尽きます。
吉原
実際に商学部で勉強した簿記やマーケティングの戦略論などは、いつか引退したときに相撲部屋を経営したり、新しいビジネスを立ち上げたりするときに活用できるかも知れないですね。
大奄美
実は僕、簿記検定の2級を持っています。
吉原
素晴らしい。さすが商学部卒業生ですね。
大奄美
今は相撲に全力集中していますが、引退後はまた勉強するかも知れません。もちろん英語も頑張ってみます(笑)。
一同
本日はありがとうございました。
三者てい談終了後、雪駄の粋な履き方を教えてくれた大奄美関。鼻緒を引っかける程度に浅く履き、かかとを多めに出すことがポイントとのことです。